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エルマの読みもの

おいしさって何?
日本人のDNAに深く刻み込まれた
うま味を持つ魚、カツオ

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<center>おいしさって何?<br>日本人のDNAに深く刻み込まれた<br>うま味を持つ魚、カツオ</center>の写真

豊洲市場「住民」の井上です。

2004年以来、市場の新参者として過ごさせてもらっています。世界中から人と食品が集まる市場の面白さと、私が日々どのように過ごしているかをお伝えしていきたいと思います。

こんな仕事をしていると、「おいしいお店や食材を教えて」とか聞かれる事が多くあります。先日、その期待に応えようをしすぎて暴走し、すてきなレディ2名と行く店に新宿の路地にあるクモとサソリを出す店をセレクトしてしまい、そのSNSの投稿を見た別の友人から「ありえない」と叱責(しっせき)を受けました。その通りだと思います。いや、でも、あの時は真剣だったのです。

「おいしいものは何か?」を考えたときに、あるいは食の仕事をしていて、避けては通れない食文化の中心にいる魚がカツオです。

私は、常々おいしさには2通りあると思っています。

1つは、うま味が濃いとか、甘みが強いとかそういう舌で味わう「絶対値的」なおいしさです。糖質・脂質・うま味に代表される本能的に望む味です。

もう1つが、縁起が良いとか、昔から食べていたとか、季節を感じるとか、人によって異なる「感情的」なおいしさです。年を重ねるごとにこのおいしさに重きを置くようになる気がします。

私も昔はおいしさとは「絶対的で不変的なもの」だと思っていましたが、さまざまな食材に触れ、食し、食卓を囲むうちに、だんだんと味は「舌以外でも味わっている」ことを理解できるようになりました。

食べものの最高位として、100万円もの価値があったカツオ

カツオは縄文時代から日本人に愛されてきました。

カツオは「堅魚」という語源説が有力で、古の時代から生食だけでなく乾燥させて食していたことが伺い知れます。カツオは傷みやすく鮮度が命の魚なので、海辺の集落以外での生食が難しかったからでしょう。

生よりも乾燥したもの、つまり「カツオ節の原型」となるものから発展したことにより、生のカツオより凝縮された「イノシン酸(カツオのうま味成分)」の味を当時、内陸(京都や奈良)にあった朝廷を中心に知ることになり、それが、われわれのDNAに深く刻み込まれていくことになります。

さらに日本人をカツオのとりことしたのが、春の「初ガツオ」と秋の「戻りガツオ」という季節感でした。特に江戸時代の「初ガツオ」好きは尋常ではなかったようです。

カツオに限らず、初物はまず「神にささげる」という習わしがあり、庶民が食べられるものではありませんでした。初物を食べたくとも食べられないそんな悔しい思いが憧れになり、初物を食べると寿命が延びるといった俗信が生まれ、より有難みが増しました。

さらにカツオは「勝男」、カツオ節は「勝男武士」という当て字があり、大変縁起の良い食べ物とされていました。

安永五年(1776年)に出版された「人心覗機関(ひとごごろのぞきからくり)」という、その当時の人気の食べものを記載した評判記があります。その最高位である「極上上吉」には、唯一「初ガツオ」だけが記載されています。当時ついた値が1匹3両。現在の価値でなんと50~100万円といわれています。

最上位の人気を誇った春のカツオは本当においしいのか?

江戸時代に最盛期を迎えた日本人の「初ガツオ」好きは、それから50年を経て収束していきます。

漁法の進化により「初ガツオ」が大量に出回るようになったのと、あまりに高く売れるものだから日本中の船が当時の魚市場である日本橋を目指したからというのが大きな理由のようです。

では「戻りガツオ」はどうだったかというと、当時は外道扱いだったそうです。その理由には諸説ありますが、脂の多い魚は時間がたつと酸化し黒くなり品質は劣化しやすいというのが大きな理由だったようです。

時代が進み流通の進歩により、港に上がったカツオがその日のうちに日本中で食べられるようになると、脂ののった「戻りガツオ」も評価されるようになります。人間は本能的に脂を求めるところがあるので、脂が強いカツオが評価されるのは当然といえば当然です。

人が評価するおいしさは絶対ではなく遷り変わるものです。

では何がおいしい、おいしくないを決めるのかと言えば、「その持ち味は何か?」という事だと思います。それであるなら、カツオの持ち味は血の香りある赤身のうまさ、イノシン酸が凝縮されたうま味だと言え、「戻りガツオもおいしいけれど、やっぱり初ガツオだよね」というのが鮨(すし)屋の定評のようです。鰹節も上質なものほど、脂の少ないものを使います。

「持ち味は何かを見る」これってどんな時でも大事なことだと思っています。

日本中にあったカツオ節小屋の礎を築いた紀州とその歴史

カツオは刺身だけでなく、カツオ節も人気でした。江戸時代には、日本中に小さなカツオ節小屋が多数ありその品質を競っていました。

カツオ節が全国に広まり、その品質が格段に上がった背景には2人の人物がいます。1人が紀州(和歌山)の角屋甚太郎(かどやじんたろう)で、もう1人も同じく紀州の土佐与市です。この2人により焙煎し、乾かし、カビ付けをするという現在も受け継がれている製法が全国に広がりました。

文政5年(1822年)には鰹節のおいしさ産地を相撲の番付に模して一覧にした、「鰹節諸国番付表」なるものが作られ、カツオ節好きの江戸っ子がそれを見て楽しんでいました。行司役に「波切節」(紀州(和歌山・三重))、大関に土佐(高知)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」が名を連ねます。

現在、鹿児島・静岡・高知の3県で日本全体の99%のカツオ節が作られており(ちなみに鹿児島と静岡で98%)、この当時の面影を残していますが、行司役でありカツオ節の礎を作った紀州のカツオ節はほとんどなくなってしまいました。カツオ船の大型化により、大きな港がない三重県や和歌山県には陸揚げできないというのが理由です。

しかし、現在でもわずかにカツオ節が製造されている製造所を訪ねると、長年使われ、改良されてきた道具の多さや、当時の面影がある古びた建物に、長いカツオ節の歴史を感じ、仕上げるのに6カ月もかけるというこだわりに、当時の熱狂を感じる事ができます。今でも老舗の料亭などからは特注で製造の依頼があるそうです。
三重県尾鷲のカツオ節製造所 100本以上のさまざまな形の包丁
三重県志摩のカツオ節製造所、「いぶし」工程

なぜクモとサソリを出す店に、友人を連れて行ったのか?

おいしさというのは不思議なものです。
素材の持ち味を味わうことや、歴史や産地に思いをはせるような気持ちもおいしさの1つで、感動的な味の料理にはこの種のおいしさで大半が占められているようにも思えます。

カツオ(や昆布)から引き出される「うま味」は、外国人にとっては新感覚の味わいのようです。「umami」という言葉は欧米でもそのまま使われ、日本を代表する味として広がっています。いつしか外国人にとっても懐かしかったり、文化と呼べる味になっているのかもしれません。

10年ぶりに会った懐かしの友をクモとサソリの店に導いてしまったのは、「おいしいものは何か?」を考え、味だけでなく「非日常体験」による感動だなという考えに行き着いた結果だったのでした…。ごめん友よ。


筆者紹介


豊洲市場在住 食のプロデューサー
井上 真一

豊洲市場在住 食のプロデューサー 井上 真一

2004年にスタートした豊洲市場ドットコム(旧築地市場ドットコム)。
以来、100年以上続く店舗がひしめくなか、市場の新参者として過ごさせてもらっています。世界中から人と食品が集まる市場の面白さと、「肉食系」の男女が集まる市場で、「雑食系」の私がどう過ごしているかをお伝えしたいと思います。

どこにでもあるものより、なかなかないもの。
太陽の香りがしたり、人の手の温度を感じる。
大事に生まれたものは、大事にしたくなるものです。
そうだ。こだわりは、ごちそうなんだと思う。
もっと知ってほしいもの、あなたに届けたいもの、見つけました。
好きって、エールなのかもしれません。