2020.01.16
横須賀から生まれた
日本の国民食「カレー」に迫る。
日本の国民食「カレー」に迫る。

神奈川県横須賀市。1853年にこの地にペリーが来航したことで事実上鎖国体制が崩壊し、日本は近代化への道を歩みはじめました。その後160年の歴史を経て、世界各国から多くの文化が横須賀を通って日本に浸透していくことになります。故に発祥の地が横須賀といわれている食べ物や商品が数多くありますが、カレーはそれらの中でも最も日本になじんだ商品と言えるでしょう。遠く離れたインドで生まれたカレーが、どのようにして日本人の国民食にまで変貌を遂げたのでしょうか。
軍港町として栄え、欧州文化の入口となった横須賀の歴史

大正時代に入ると、横須賀鎮守府(ちんじゅふ)が開設され、横須賀は大日本帝国海軍の主要軍港の一つとなり、その跡地に現在の横須賀海軍施設としてアメリカ軍が駐屯しています。このように横須賀は開国以降、海軍のお膝元として発展を遂げる中、カレーをはじめとするさまざまな欧米文化も日本海軍の艦艇に乗り横須賀へ経由で日本全国に浸透していったのです。
横須賀から日本中に広まった欧風カレー

その理由は日本のカレーのルーツがイギリスにあるからだと考えられています。18世紀にインドを植民地化していたイギリスではインドカレーをイギリス人の口に合うように改良し、俗にいう“欧風カレー”が誕生しました。
その後、明治時代になりカレーがイギリスの食卓に定着した頃、日本海軍は西洋式の海軍を作るためにイギリスに出向き、そこで初めて日本人がカレーと対面したといわれています。
カレーは栄養価も高かったことから、軍隊食として海軍艦艇の中で食べるようになり、やがてその文化が横須賀市内に根付き、日本中へ瞬く間にカレーが広がったのです。
横須賀がカレーの街と呼ばれるまでの変遷

海上自衛隊では、外の景色が変わらない長い洋上勤務で曜日感覚が狂うことを防ぐために、各船で毎週金曜日カレーを提供しています。
養生生活では娯楽が少ないということもあってか、自衛隊員にとって金曜日は待ち遠しい1日となり、料理長にとってもカレーは腕の見せ所と各船がオリジナリティーあふれるカレーを提供するようになります。
そんな船上でのカレー文化はいつしか話題を集め、各船が自慢のカレーレシピを飲食店向けに公開したり、それらを市民に振る舞うイベントなども行われました。
そこからカレーで町おこしをしてみようという機運が高まり、市や海上自衛隊はもちろん、商工会までもが手を組み2011年に横須賀はカレーの街宣言をしました。
海軍割烹術参考書を再現した「よこすか海軍カレー」

そこで地元企業の調味商事は全国どこにいてもこのカレーが食べられるように、『海軍割烹(かっぽう)術参考書』(当時海軍で食べられていたカレーのレシピが記載された参考書)を再現したレトルトカレーの製造に着手します。

そんなレトルト海軍カレーの元祖ともいえる「よこすか海軍カレー」。家で海軍伝統の味を楽しむにはぴったりの商品といえるでしょう。
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