2019.12.23
機械化の波の中、あえて木桶で手作業を続けるわけ 小田原の味噌蔵

神奈川県の城下町・小田原。
大正6年(1917年)から箱根山と丹沢山地の間を流れる酒匂川(さかわがわ)を水源とする地下水で仕込み、90年近く使用している木桶(きおけ)を使い、現在も昔と変わらぬ製法で味噌(みそ)を製造している味噌蔵があるという。
今の時代になっても「ステンレスタンクではないこだわりの木桶」にどのような物語があるのか。加藤兵太郎商店、7代目・加藤篤氏を訪ねた。
想像を越えた体力仕事
工場内に入ると、そこはまだ職人さんがいない静寂な時間。木製の扉、電気のスイッチ、蛇口、石。そして両手を広げても届かぬ幅の木桶が堂々と鎮座している。窓からの斜光が薄く暗い影をつくり、この世に止まった時間が存在するのかと錯覚する。
日本人にとって毎日のように使われる味噌は「季節」「土地」「水」「原料」、そして「道具」と「職人の想い」が出来を左右するという6代目加藤公明氏のインタビュー記事を事前に読んでいた。それもあって、おおらかな気持ちで職人さんたちの仕事開始を待っていた。ところが、その職人さんの仕事開始になると工場内の状況は一転する。
ここでは一部だが、いかに体力を使う仕事をしているか、味噌作りの工程を紹介したい。
作業工程:「米蒸し」

作業工程:「大豆蒸し」

作業工程:「仕込み場」

作業工程:木樽へ

高さ2mはある木樽は90年近く使われており、樽が持つ菌が味噌の味とコクを決めている。この日も7代目たちがこの木樽に味噌を仕込んだ。
レールの上を木樽が移動していく。90年もの間、その時代の職人たちに押されてきた木樽は、このまま温醸室にて約4カ月(※味噌の種類によって異なる)寝かされる。
こうして、加藤兵太郎商店の味噌は時代を越えて引き継がれてきた。
あえて手作りにこだわり、面白みを残したい

味噌は本来、効率的に作りやすいので機械化が進みやすいと言う。そんな中、なぜあえて手作りをするのか。加藤氏に尋ねてみた。
「本来、味噌は地域色の強いもので、各々の土地で伝統というのもあるし、そこの土地でおいしく感じる味というのもあると思うんです。ところが、機械化で味噌の特徴が均一化してきちゃった。大手の味はみんな同じような味になってしまっている。それは、あんまり面白くないのではないのかと」。
--先代から受け継いだ製法を守り続けるわけとは?
「手作りと聞こえはいいのですが、仕事している本人たちの大変さというのは言葉では言い表せられません。毎日体も痛い(笑)。機械を入れたら楽になるのではないかって思いは常にあるのですが、味をこういうふうにしたい時、その機械にできるのかとか、そもそもこの工場にその機械は入るのか、とか。いろんな問題があります。結局面白みを残そうとすると機械化の方に進めないんです」。

「手作りしているから面白い味になると思うのです。良くも悪くも荒い味になるというか。びっくりするぐらいおいしくできる時もある。同じように作っても、人が作っているのでどうしても出来が変わって来るという部分が、良いところでもあり面白い所でもあります」。
加藤氏はさらに続ける。
「あとは、世の中が面白がってくれることかな。昔のものを継続しているだけでそこに価値を持ってもらえる時代なので、すごいと言われてしまう。それはかなりのモチベーションになります。初めた頃は苦労ばっかり考えていたのですが、正直今は楽しいです」。
7代目の笑顔がたくましくも印象的だった。
執筆・動画制作:映像作家 川瀬美香(かわせみか)
作品
「あめつちの日々」2015年
「紫」2011年
「長崎の郵便配達」2020年公開予定
公式ウェブサイト(外部リンク)